大を小で流す。

往往にして、大は小で流します。

運命の出会いは突然にand...

 

お金がない。数百円、数十円の電車賃を浮かす為に大抵の移動は自転車にする。消費期限ギリギリの割引された食パンを買うから絶対に消費期限が過ぎるけれど、カビさえ生えていなければもちろん食べる。クリスマスパーティーに誘われたけれど、交換用の3000円程度のプレゼント代が痛くて買えず、司会に徹した。お金がない。その事実は心を蝕む。焦燥や不安がじわじわと心に穴を開け、その穴を埋める愛のようなものもない。恋人がいない。寒風が心の隙間に吹き荒び、潤いや質量を奪い去ってゆく。いっそこのまま風が吹き続いて、心から一縷の水分をも残こすことなく、スカスカのカサカサになって、ついには風に抗う力さえなくして、大空をたゆたいながらどこか遠くに飛ばされてしまいたい。どこか…まぁどこかというか、ハワイかバリかグァムか、少なくとも沖縄か、常夏の白く輝くビーチに舞い降りて、寄せて返すエメラルドグリーンの波に打たれて少しずつ心に弾力を取り戻して、たまたま観光に来ていた日本人の美人グループ(グループでなくても良い)と仲良くなって、ひとしきりエンジョイした後、一緒に帰りたい。

 

 

 

 

お金が欲しいとはあまり思わないが、クリスマスに交換用のプレゼントを買う3000円の余裕くらいは欲しい。数百円の日用品をいちいちコレは今必要か?と吟味せずに買える余裕くらいは欲しい。そして単純にそろそろ恋人が欲しい。

 

 

もちろんお金も恋人も、手に入る見通しなど皆無だ。しかしこの状況が長く続くのはやはり辛い。何か、解決策はないだろうか。考えた結果、ひとつだけあった。

 

 

 

 

 

 

 

養鶏だ。

 

 

 

ニワトリを養うのだ。苦肉ど真ん中の策ではあるが、考えてみて欲しい。

 

まず卵が手に入るのが大きい。卵は完全栄養食品の代表。しかも、自炊の9割が炒め物の僕にとっては最高だ。一食で食べるには多いけど、二食に分けるには少ない、みたいな微妙な量ができた時、一食目で多めに食べて、二食目は余ったそれを卵で綴じる。すると、見事にカサは増え、おまけに全ての炒め物は丼になる。丼になると洗い物も減るしサッと食べられる。ゆで卵にすると小腹を満たすにも丁度良いし、天然のプロテインにもなり得る。そんな卵が無料で手に入るのはありがたい。

 

そして、ニワトリは生き物である。つまり、ペットになる。もう名前も用意している。トリ太郎だ。恋人の代替案がニワトリとは、少し違うような気もするが、まぁ、動くし、愛情を注げば癒しにならないこともないだろう。本能で動くトリ太郎に対して、人間のエゴで勝手に感情を想像して「腹が減ったか?寒いのか?そうかそうか」と以心伝心した気になってご満悦するのだ。

 

早速インターネットで検索しよう。

「賃貸 ニワトリ ベランダ」

 

こちらがベストアンサーに選ばれていた答えだ。

 

まずは、そのマンションの規約を確認するか、自治会の会則を確認して見て下さい。
私のマンションでは、自治会に申請をしてそれが認可されないとペットは買えません。

恐らく、ニワトリは鳴き声が近所迷惑になる可能性が大きいので、買うことは許可されないと思います。

個人的には、ニワトリの維持費や、防音対策などを考えるより、近隣で新鮮な卵を売ってくれる場所を探すほうが、安上がりな気がします。

 

なるほど。どうやら無理そうだ。そうか、無理か…。そうだよな。はは。再び前途が閉ざされた。あぁ、まだ見ぬトリ太郎よ。僕は浅はかだったよ。

 

 

 

お金がなくて、恋人がいなくて、寂しくても侘しくても、お腹が空く。例の如くもやしと何か安いものを炒めようと近くの激安スーパーに向かった。もやしまで一直線に向かう途中、目の端で一際輝く野菜を見つけた。それは「豆苗」だった。僕と豆苗が対峙した時「あ〜の日、あ〜の時、あ〜の場所で、君に会えなかったら〜」と、脳内で小田和正の「ラブストーリーは突然に」が流れた。もやしの事など忘れて、1パック100円の豆苗を掴みレジに並んでいた。

 

 

 

なぜ今まで思い浮かばなかったのだろう。現状を打開する唯一のアンサーは豆苗なんだ。名前に豆と書いてあるから絶対に栄養が良い。炒め物にも相性が良い。そして何より、カットした根元をもう一度水に浸けておくと、新たに豆苗がにょきにょき生えてくるのだ!無限豆苗である。無料で食べ物を提供してくれる生き物。その点で、豆苗はニワトリとほぼ変わりない。豆苗をペットにすると決めた。

 

 

お金と恋人を求めていた男が回り回って辿り着いた所は豆苗である。何か違う気がする?いや、人生ってのは往々にしてそういう事だ。理想を追い求めて回り回って、辿り着いた所を「見方によっちゃ理想だよな」と自分に言い聞かせるものなのだ。

 

 

早速、買ってきた豆苗を炒めて食べ、根元を水に浸した。ワクワクしていた。パックには10日くらいで成長すると書いていた。そうだ、ペットにするなら名前を用意しなくては。何本、いや何匹か。植物をペットとして扱った事がないから数え方が分からないが、何匹と数えることにしよう。大体100匹くらいはいそうだ。豆苗太郎、豆苗二郎、豆苗三郎、豆苗四郎、豆苗五郎、豆苗マイケル、豆苗ポール、豆苗ジョン、豆苗ジョージ、豆苗シェリー、豆苗アン、豆苗右衛門、豆苗ミランダ、豆苗〜ん、豆苗早苗、豆苗アンダーソン、豆苗マン、豆苗ティガ、豆苗ダイナ、豆苗ガイア、豆苗ジードロイヤルメガマスター、豆苗オーブハリケーンスラッシュ、豆苗・キホーテ、豆苗の空、豆苗イズマイファーザー、豆みょ…いやキリがない。纏めて豆苗ズだ。植物とはいえペットの名前を複数形にするのもなんだが、仕方がない。豆苗ズだ。

 

 

毎日一回、水を換えてやる。それが僕らのコミュニケーションだ。水を換える時、心なしか豆苗ズが「お腹が減ったよぉ〜、新しい水をくれよ〜」と言っているように聞こえなくもない。心の繋がりを感じた。豆苗ズは日を追うごとに成長した。だが、彼らにとって成長とは、自らの死へのカウントダウンでもある。豆苗ズが買ってきた時と同じ高さになった日。僕は、豆苗ズを食べることを決心した。僕は心が痛んだ。植物とはいえ、愛着を持って育てたペットなんだ。ハサミを持つ手が震えた。けれどそんな僕の背中を押してくれたのは、豆苗ズだった。確かに聞こえた。…聞こえた気がした。豆苗ズの「僕達はご主人様の身体の一部となって、生き続けるんだ。今まで育ててくれてありがとう。今度は僕達がアナタを育てる番だよ」という声を…。

 

 

僕は豆苗ズと実家に帰った時に貰ったものの使いあぐねていたイカの缶詰で和風あんかけパスタを作った。

 

 

 

命に感謝。この言葉に尽きる。わずか10日ほどの付き合いだったけれど、僕は豆苗ズを忘れない。ありがとう、豆苗ズ。君の命を、いただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、まッず!何これ、クッサ!豆臭?クッサ!!コレ全部食べるんツレぇ〜!

僕の風邪予防

 

朝の天気予報で「西高東低の気圧配置」というワードがすっかり定着した今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

時候の挨拶が何故か好きで、オリジナルの時候の挨拶を考えるときワクワクします。将来、時候の挨拶職人にでもなろうかしら。そんなことを考えていたら、咳がでました。

 

そう、僕はというと、風邪を引いています。皆さん、体調はいかがですか?僕は、風邪を引いています。当ブログもたまには季節に合わせた記事を投稿してみようなんて思い至りました。

 

この時期は、冬の本番より寒いと言っても過言ではありません。まだ身体が寒さに慣れておらず、この時期に冬の装いをしたら冬本番に何を着るんだ、という謎の意地も相まって、結果身体の芯まで冷えます。朝起きて天気が良ければ、一見暖かそうで、小春日和を期待して、外に出るなり後悔するものです。つまらない意地は捨てて、ヒートテック着ましょう。マフラーの巻きましょう、手袋しましょう。

 

 

タイトルを「僕の風邪予防」にしましたが、これにも少し後悔しています。何故なら僕は、風邪予防をしない派だからです。風邪になったらなったで、何かにつけて「風邪だから」とサボったりするキタナイ人間です。僕は今、言い訳が欲しいのです。頑張らなくて良い言い訳が。

 

 

 

そんな事より口内炎です。僕は口内炎がよくできます。そして口内炎ができるたびに身近な誰かに見せつけます。口内炎はエグいくらい痛いのにもかかわらず何にも与えてくれません。だから誰かに見せて一瞬の話題にするのです。全く心のこもっていない同情を貰うのです。「痛そうぉ〜」「やばぁ〜」それでいい。

 

 

僕の口内炎は大体唇周りか、内頬に現れるのですが、唇周りにできたものを「すすり困難系」、内頬のものを「咀嚼困難系」と体系づけています。「すすり困難系」は麺類や熱いスープをすすろうとして唇を尖らせると、ここぞとばかりに現れてアツアツフードにカミカゼアタックしにいくのです。そして爆死するのは僕です。痛いといったレベルじゃありません。小さい「ツ」が3つ入る痛みです。「イタ!」じゃなくて「イッッタッ!」です。

 

この世には2種類の人間がいます。口内炎がよくできる人間と、口内炎とは全く無縁な人間。口内炎ができない人にとって、口内炎の痛みは想像しにくいでしょう。でも、分かって欲しいのです。どれくらい痛いのかを。

 

そうですね、例えるなら

 

お風呂に入っている間に、Netflixで観たい洋画をダウンロードしておいて、寝る準備を済ましていざベッドで観ようとしたら吹き替えだったときくらい

 


悪ノリの馬鹿騒ぎで自分の周りだけしか盛り上がってないのにも関わらず、自分を世界一面白いやつだと勘違いしている自称クラスの中心くらい

 


いわゆる「美魔女」と言われている人が「えー見えない!すごい若いですね!」というリアクションが返ってくることを分かっていて、鼻を膨らまして「いくつですか?」と聞かれるのを待っているときくらい

 


地震がきたときに好きな女の子を守って一躍ヒーローになるっていう妄想をする男くらい(クラスのヤンキーから守る妄想も同じ)

 


魚の骨が喉に刺さったときの物理的な痛さと精神的なダメージの総和くらい

 


1対1、後半24分でのオウンゴールくらい

 


肌寒い秋の夜に自販機で缶コーヒー買ったら「つめた~い」だったときくらい

 


ハリーポッター見た後に自動ドア開けるときスッと手出して魔法使った感を出すやつくらい(スターウォーズを見た後にフォースで開けるやつに同じ)

 


平均再生回数62のYouTuberが外歩く時一応絶対マスクするくらい

 

片想いの相手が、笑顔で楽しそうに異性と話しているときくらい

 

一人暮らしで貯金が20万円を切ってるのに自転車の後輪がパンクした時くらい

 

一人暮らしで貯金が20万円を切っているのによく履くジーパンのお尻に穴が空いたくらい

 

一人暮らしで貯金が20万を切っているのにiPhoneのイヤホンの調子が悪くなった時くらい

 

一人暮らしで貯金が20万円を切っているのに仕事から帰宅すると朝からコタツを付けっぱなしだったと気づいた時くらい

 

そもそも一人暮らしで貯金が20万を切っているくらい

 

 

それくらい痛いのです。途中果たして痛いのかどうかよく分からない例えもありましたが。

 

 

 

 

今まさしく口内炎があります。折に触れて痛みます。場所は下唇の斜め左。そう「すすり困難系」口内炎です。ちなみに「すすり困難系」口内炎は唇をプリッとするだけで誰かに見せられるので便利ではあります(?)。写真も撮りやすいです。…。撮りました。赤い唇の大地に、我が物顔で居座るクレーターのような白い炎症。この赤と白のコントラスト。ふと思いました。インスタグラムにでもあげようかしら。たくさんいいね!が来るかな、コメントが来るかな、もし来たら少しは口内炎になった甲斐があるってもんです。…くるはずがありません。見た人全員の脳内に一瞬「キモっ」と響き、それ以降思い出されもしないでしょう。信じても良い直感とそうでない直感があることを今、学びました。

 

正確にどれくらいの周期で口内炎が現れるのかは分かりませんが、体感的には月に一回は現れている気がします。チクっと違和感があるような口内炎の赤ちゃんは、不摂生という栄養でグングン育ち、瞬く間に暴君へと姿を変え、大いに僕を苦しめてから、やがて老いて小さくなり、跡形もなく何処かへ去っていきます。全盛期の痛みは2.3日続きます。僕は口内炎のできている日を「あの日」と呼んだり…と言うような冗談はよろしくないので控えさせて頂きます。

 

 

えっと、何の話でしたっけ。

 

あ、僕の風邪予防だ。

 

早めにパブロンを飲めば良いと思います。

 

 

僕はもう「世界で一番旨い食べ物」を食べることはできない。

 

 

世界で一番旨い食べ物は「カップヌードル ミルクシーフード味」である。

 

 

シーフード味も勿論旨い。しかし、シーフード味はミルクシーフード味への序章に過ぎない。シーフード味の完全体はミルクシーフード味なのだ。シーフード味はシーフードエキスの強烈な旨味と塩味がいささか刺々しく舌に突き刺さる。そこにミルクの羽衣を纏わせ、優しく、まろやかな舌触りにすることに成功したのがミルクシーフード味だ。その舌触り、喉越しはまるで絹だ。そのことから日清の商品開発部は完成当時、ミルクシーフード味と名付けるか、シルクシーフード味と名付けるかで一悶着あったとかなかったとか。そんな噂があるとかないとかなのである。

 

 

そんな訳でカップヌードルのミルクシーフード味が世界で一番旨い食べ物なのだが、タイトルで僕はもう食べられないと書いた。それは何故か。

 

ミルクシーフード味は期間限定の味だから?否、確かに期間限定の味ではあるが毎年寒くなるとコンビニで発売されている。もう二度と手に入らない、という意味ではない。

 

 

ただ単にミルクシーフード味を作って食べるだけでは、それは単なるミルクシーフード味なのだ。つまり、ミルクシーフード味をポテンシャル以上のモノにする条件、環境があるということで、その条件や環境が、もう再現できないのである。

 

 

一言でまとめると、それは青春だ。青春がカップヌードルのミルクシーフード味を天下無双へと至らしめる。

 

 

 

高校時代。季節は、冬。

17時の暗さにも驚かなくなった頃。

ハードなトレーニングをこなした日の部活帰り。

身体に重く残る疲労感。

同じ方向の部活仲間とふざけながら自転車で坂を下る。

何が楽しいのかずっと笑いあっている。

お腹が空いている。

空いてるなんてもんじゃない。

空腹で死にそうだ。

そして防寒具を容赦なく突き抜けてくる寒気。

手袋の中の指先はちぎれそうなくらい冷たい。

光に集まる虫のように、気がつくといつものコンビニに吸い寄せられている。

カップヌードルのミルクシーフード味を購入。

お湯を注ぐ。

コンビニの前で待つあの永遠の如き3分。

麺や具に水分が戻り、香りが立ってくる。

あぁ、今すぐ食べたい!

タイマーを確認するが、まだ1分45秒。

もしも僕がアインシュタインだったら、この無限に思える3分から相対性理論を着装したに違いない。

ついに3分のカウントダウンが終わる。

口と手を使って割り箸を割るのがいただきますの合図だ。

しかしあと少し、焦らされる。

混ぜなければならない。

混ぜている時、脳は、舌は、数秒後の幸せを知っている。

もの凄い勢いで唾液が溢れ出る。

その唾液をゴクリと飲み込み、よくスープに絡ませた縮れ麺をズルズルズルっと一気に胃に放り込む‼︎

 

空腹にぶち込まれるジャンクフードの旨さは改めて表現しなくともご存知だろう。

加えて凍えた身に沁み渡るミルクの温もり。

その旨さ、天衣無縫。

 

ちょこんとウニを乗っけた肉寿司よりも、黒トリュフを贅沢に削ったクリームパスタよりも、鮑をとろとろに煮たやつよりも、最高級A5和牛のシャトーブリアンよりも、4代目の職人が江戸時代から代々受け継がれている秘伝のタレにつけて備長炭で焼き上げた鰻の蒲焼よりも旨い。全部食べたことはないけど分かるのだ。

 

 

極限状況で仲間と食べるカップヌードルミルクシーフード味は、もはや食事を超えて「喜び」だからだ。人間が生物として持っている「生きる」という本能にダイレクトに伝わるのだ。

 

 

今、何の苦労もなく、ただ腹が減ったという理由で食べるカップヌードルミルクシーフード味は、勿論旨いが、その旨さはちょうど「海水浴ではしゃいで昼過ぎに休憩中友達が食べ始めたポテトチップスうす塩味の一口ちょーだい」くらいである。

 

 

 

 

あぁ、書いていると思い出してきた。あの感動を。ここはしばし、僕に感謝させてください。

 

 

ありがとう、人口添加物。

ありがとう、カップヌードル

ありがとう、日清食品

ありがとう、安藤百福

日清食品の創業者。「カップヌードル」の開発者として知られる。

ありがとう、まんぷく

連続テレビ小説 第99作『まんぷく』。今や私たちの生活に欠かせないものとなった「インスタントラーメン」を生み出した夫婦の知られざる物語。何度も失敗してはどん底から立ち上がる"敗者復活戦"を繰り返した末、二人は世紀の大発明へとたどりつく――人生大逆転の成功物語。

ありがとう、安藤サクラ

まんぷくのヒロイン。長谷川博己が演じる主人公・立花萬平の妻・立花福子役。1986年2月18日、東京都生まれ。2007年、映画「風の外側」で本格的に俳優デビュー後、映画やドラマで活躍。「愛のむきだし」「かぞくのくに」「愛と誠」「0.5ミリ」などに出演し、10以上の映画賞を受賞。2014年には「百円の恋」で第39回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど、その演技力は高く評価されている。NHKドラマでは『ママゴト』(BSプレミアム)で主演。

アレを買え、コレを買えって、世の中がうるせぇんだ。

 

 

アレを買え、コレを買えって、世の中がうるせぇんだ。

 

 

 

 

 

 

引っ越した。初めての一人暮らし。生活をする為に必要なものがいっぱいだ。

 

 

まず何より、食べなきゃ死んでしまう。そこら辺の雑草とか虫とかを食べる訳にはいかないから、米を買おうか、野菜を買おうか、肉を買おうか。食べやすく、美味しく頂く為に炊飯器を買おうか、包丁を買おうか。フライパンを買おうか、調味料を買おうか。食材が腐ったらいけねぇ。冷蔵庫を買おうか。すぐに温められたら便利だ。レンジを買おうか。料理をしたら汚れてしまった。洗剤を買おうか。スポンジを買おうか。除菌のアルコールスプレーを買おうか。洗い物の水を切らなくちゃ。水切り用のカゴを買おうか。料理を乗せる皿が必要だ。箸が、スプーンが。お肉の臭みを取るのにナツメグは…まだいらないか。米に虫がつかない様に虫除けはいるのか…??

 

あぁ、服を洗うのに洗濯機が必要だ。洗剤を買おう。柔軟剤もあった方が良いだろう。洗濯ネットはいるのか?洗った服を干す為に、物干し竿はいる。ハンガー、洗濯バサミ、買っておこう。ベランダ用のサンダルは?乾いた服はどこにしまおう。棚が欲しいな。冬服はかさばるし、大きい収納で、靴下・パンツは小さい収納。分けた方が良さそうだ。買いにいこう。虫除けは入れといた方がいい??

 

寝るとこはベッドにしよう。ベッドフレームにマットレスに掛け布団、マクラ。それぞれにカバーも用意しなきゃ。夏用、冬用、春秋用意…。カビ防止に湿気を吸うシートはあった方がいい?布団の圧縮袋は?寝る前に携帯をいじるから近くにコンセントが欲しい。延長コードを買おうか。読書のためにライトも買おうか。

 

 

シーンとしてて、寂しいから面白くないけどテレビでも買って流しておこう。テレビ台も必要だ。リモコンの電池が切れた。単三?単四?フローリングが硬くて痛い!カーペットが欲しい。併せてズレ防止のシートを買っておこう。もっとくつろぎたいからソファも買おう。クッションもあったらいいだろう。

 

カーテンとレースにも機能があるのか。遮光、遮熱、防炎、UVカット、形状記憶…どれが優先?テーブルは冬も使えるようにコタツ付き。直ぐにお湯を沸かせる電気ケトル。小さめの勉強机に椅子。お風呂にも低めの椅子が欲しくなってきた。節水のシャワーヘッド?どういう仕組みだ。大阪市の水道ってどう?浄水器はマスト?

 

 

今の時代、ネットはもはや衣食住の全てに関わる。キャリアは高くつくから格安SIMに乗り換えよう。でもギガが少ないからWi-Fiも契約しないと。Wi-Fiは据え置き?ポケット?プロバイダーはどこがお得?スマホケースが汚れてきたなぁ。充電器が断線した!イヤホンもいよいよ調子が悪い。

 

 

あれ、部屋が汚れてきた。掃除機を買おう。フローリングはウェットシートで、それを付ける棒もいる。カーペットはコロコロの方が取れやすい。替えの分も多めに買っておこう。机はウェットティッシュでサッと拭く。ベッドにファブリーズをシュッシュッしといた方がいい?寝ている間に菌が増えるっていうもんな。

 

排水溝が臭うぞ…トイレもくすんできた…お風呂場にカビが…え、洗濯槽にもカビ?あぁ、洗剤、洗剤、洗剤、薬品、薬品、薬品。トイレが臭う。玄関も臭う。部屋も…?消臭、消臭、消臭、アロマ?ディフューザーってなんだ?

 

 

生きてるだけで臭くなるんだぜ。お前、臭いと嫌われるぜ。消臭しろよ。ヒゲが伸びてみっともねぇ、剃れ。5枚刃だから剃り残しが少なくて肌にも優しいぜ。歯と歯の隙間の歯垢は歯ブラシじゃ届かねぇよ、歯間ブラシを買いな。

 

 

 

おいおい、いつからその服着てるんだ。雑誌を読んで流行りに乗ったベタな格好でもしてろよ。

 

コンタクトは手で洗うより気泡で洗った方が綺麗なんだ、この容器と液で自動で洗ってくれるから買いなさい。

 

 

いつかゴキブリが出た時にどうしますか?手で潰せますか?いざという時に、この薬品を買っておきましょう。

 

  

 

 

 あぁ、商品がありすぎる。大袈裟な広告で煽って煽って、どうにかこうにか買わそうとしてくる。便利そうだな、と思ってこの間は「片栗粉専用の容器」を買ってしまった。

 

 

マイナスイオンがどうとかブルーライトがどうとか次亜塩素酸がどうとか、よく分からない言葉で、あたかもそれが無いと死んでしまうみたいな口ぶりで脅してくる。

 

コレが無いと不便でしょ?アレがないと大変でしょう?とコッチをその商品がないと何もできないヤツだと高を括っていやがるんだ。

 

 

本当にいるのか?と疑いつつ、結局は不安になって買ってしまう。知らぬ間に便利で要らないものが増えていく。消費社会の奴隷。

 

 

 

もう、騙されないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「寝てる時に嫌な夢を見ると、覚えてなくてもストレスが溜まるんです。でも大丈夫。この良い夢パットを枕に敷くと、あら不思議、良い夢しか見なくなってストレスが全くなくなるんです!今なら良い夢パット用カバーと専用の脳波計測器をセットにして……」

 

「買った方が良いのかなぁ…」

 

もみあげのアイツ

 

錆びたチェーンの自転車をキリキリと漕いで登校していると、ヤツは後ろから颯爽と僕を抜かし去る。その瞬間、目の前に現れるのはヤツのケツだ。ヤツが右のペダルを踏み込むとヤツのケツは右に下がる。そして左に踏み込むために一度ヤツのケツは左に向かって上がり、ヤツが左のペダルを踏み込むなり、ヤツのケツは、やはり左に下がる。ヤツは立ち漕ぎをしている。ヤツのケツは、「∞」を描くように上下左右する。

 

通学路は高校に向かって緩やかな上り坂になっていて、最寄り駅からの約1kmは傾斜が増して本格的な上り坂になる。そのラスト1kmでヤツは僕を抜き去っていく。∞に動くケツが僕を嘲笑いながら遠ざかる。

 

 

ヤツの名前は分からない。ただ、自転車に貼る高校のシールは同じ色。つまり同学年。ヤツは、だぼだぼの学ランを着ている。身長の伸びを期待して大きめのを買ったのだろうが、そんな期待も虚しく萌え袖状態になっている。猿顔イケメンピラミッドがあるとすれば、その頂点に君臨するのがV6の岡田君だが、ヤツはその最下層にいる。そして何より、ヤツはもみあげがすごい。僕は心の中でヤツをもみあげと呼んでいた。ヤツのもみあげは心の中でもみあげと呼ばせるほどのもみあげだった。味海苔だ。ヤツのもみあげは味海苔だ。焼き海苔ではない。味海苔の味の部分ゆえの光沢を彷彿とさせるもみあげなのだ。

 

 

夏。外にいるだけで、目を細めなければならないほど燦々の日射がアスファルトを熱し、街路樹からは盛りのついた蝉達の雄叫びが絶え間なく降り注ぐ夏の朝。僕ができるだけ汗をかかないように、なるべく脚に力を入れず、ゆっくり自分のペースで登校していると、例の如くもみあげが僕を抜かす。もみあげが僕を意識しているのかは定かでは無い。しかし、僕はもみあげを意識している。その時点で「もみあげが上で僕が下」という立場ができあがっている気がして、腹が立つ。絶対に抜かし返してやる。僕は3か4で安定させている自転車のギアを、一気に6まで上げてスピードを出す。しかし、6のギアはスピードが出る分、重くて足に負担が掛かる。さらにゴールまではずっと登り坂。しんどい。めちゃくちゃしんどい。でも負けるわけにはいかない。何故なら、、、。何故なら、、、いや、特に理由はかった。ただ、何かムカつくからである!

 

 

僕には当時、登校における美学があった。坂の上にある高校だから、自転車通学の中でも電動自転車率が高かった。しかし女子は良いにしても、男子が電チャに乗るなんて論外。男子たるもの電気に頼らず自分の力で登らんかい。そう思っていた。そして、こっちの方が重要なのだが、どんなに坂が辛くても立ち漕ぎはしないというもの。「別にええやん」大半の方はそう思うかもしれない。僕も今「別にええやん」と思っている。ただ、当時の僕は思ってしまった。「登り坂やからって、必死に立ち漕ぎするのダサくね?」と。尖っていた。訳の分からぬ尖り方をしていた。※女子の立ち漕ぎはそれはもちろん大歓迎だった。立ち漕げよ!と思っていた。立ち漕げよ!と思いながら、その瞬間に強めの風吹けよ!と念じていた。

 

 

 

もみあげは常に立ち漕ぎだった。そのもみあげを結果的に、僕は全勝負座り漕ぎで抜き返してやった。その時の僕は、白鳥であった。湖面をすぅーっと優雅に進む白鳥も水面下では必死に足を動かしている。「立ち漕ぎ禁止」という謎の美学に縛られた僕は、必死に座り漕ぎをしながら、もみあげを抜かす時には、決して必死感を出さない。澄ました顔で抜かす。脚は乳酸でパンパン。でも顔は軽井沢。

 

 

 

毎朝、そんなどうでもいい戦いに勝利し続けてやがて年が明け、年度が変わり、僕は3年生になった。大きく文系・理系でクラスが分けられているから、クラス替えといっても顔ぶれは大きくは変わらなかった。しかし、前の方の席に

見覚えのあるシルエットが。まさかと思い、目を凝らすと、やっぱりそうだ。そこには、もみあげがいた。

 

「あー、さっきの!」「お、お前!!」

みたいな少女マンガの恋の始まり的な展開になるはずもなく。僕はしばらくもみあげを見ていた。

 

どうだろう、皆さんはここから話はどう展開していくと思いますか。

 

 

僕がもみあげに「朝、よく俺のこと抜かすよな」とか「実は意識してたんだぜ」的な告白をして、一気に友情が深まるが、やはり朝は抜かしてくるので、お互いに切磋琢磨してめちゃくちゃ体力がつくパターン。

 

 

昼休みにもみあげが本を読んでいて、気になった僕が話しかけると意気投合し、一緒に登校するだけでなく、一緒に下校もするようになるパターン。

 

 

実はもみあげは念じただけで黒板の文字を消せる能力者で、かくいう僕も念じると指の間に水かきができて結構速く泳げる能力者だったから、能力者同士引き合って、2人で協力して魔界に通ずる井戸(略してまいど)から出現した妖怪を元の姿に戻して校長から感謝として(おおきにスタンプ)を貰うパターン。

 

 

など考え得るパターンは無数にある。が、結論を言うと、もみあげの苗字が池上だったから、当時よくテレビに出ていた池上彰からとって、アキラと呼ばれていたけど、特に話したことはないパターンである。アキラは、無口だった。

 

 

アキラ、元気にしてるかなぁ。

 

 

 

 

おじいちゃんが死んだ

 

 

少し前、と言っても1年前か2年前、正確にどのくらい前かは忘れてしまったけれど、僕の母方のおじいちゃんが死んだ。父方のおじいちゃんは僕が小学生の頃に亡くなったので、僕がおじいちゃんと呼べる人はもうこの世にいなくなった。

 

 

とは言っても、母方の祖父母とはずっと疎遠で、今どこに住んでるのかも分からないし、会話をした記憶も小学生の頃まで遡るし、お年玉を貰った記憶もない。彼らに関連する記憶といえば、彼らの家のケーブルテレビで延々とパワーパフガールズを見ていたことだけだ。だから悲しいというよりも、ニュースで知らない芸能人の訃報を知った時のような感情になった。

 

 

おじいちゃんが死んだ日、母が「おじいちゃんが死にそうやから病院行くで」と言って病院に連れていかれるまでおじいちゃんがそんな状況だった事すら知らなかった。

 

 

久しぶりに家族が1つの車に乗って、病院に向かった。普段からコミュニケーションが少ない方だが、この時の車内は一段と静かだった。そして普段から荒い母の運転は、より一層荒かった。疎遠だと言っても、おじいちゃんは母にとってたった1人の父なのだ。死に目に立ち会えないのは悔いの残ることなのかもしれない。そんな母の早る気持ちをもて遊ぶように、信号はことごとく赤になった。あの時母はどんな気持ちで赤信号を待っていたのか、僕には分からない。

 

 

病院に到着すると、母の歳の離れた妹夫婦が先に着いていた。家系上はおばさんに当たるが僕との歳の差を考えるとお姉さんと言った方が適切だ。そんな彼女は、しばらく見ないうちに鼻をガッツリ整形していた。立派な鼻筋をしていた。真面目に部活に打ち込む体育会系女子高生の精神くらい一本スジが通っていた。

 

 

 

おじいちゃんは既に死んでいた。間に合わなかった。母はおじいちゃんを一見して「死んでもうたら一緒やな」と言った。その時の母の顔は悲しみではなく、何か面倒な事に巻き込まれた時のような顔だった。どういう意味かは分からなったけれど、良い意味ではないような気がした。母はもう、お葬式やその他諸々の今後の事務的な話をしていた。

 

 

 

僕はおじいちゃんを見た。人の死体を見るのは久しぶりだった。やはり特別な感情はわかなかったけれど、眠っているのではなくて確かに死んでいる感じがした。唯一印象に残っているのはおじいちゃんの眉毛だ。あらゆる体毛の栄養を全部吸いきって成長したような、太くて濃い眉毛をしていた。僕も眉毛は太くて濃い方だ。このおじいちゃんの「太くて濃い眉毛」という情報が血の川を下って僕の眉にたどり着いたのかと思うと、太古の昔から脈々と命が繋がって今の自分がいるのだな、というありきたりで大袈裟な感想は今考えたが、その時は僕の眉毛はこのおじいちゃんの眉毛なんだな、くらいには思ったし、血の繋がりの神秘を感じた。

 

 

 

 

数日後、地元の斎場でお葬式が慎ましやかに行われた。母は4人兄妹の長女で、おじさん・おばさんの家族は今時珍しい大家族だから、いとこの数が半端ではない。慎ましやかと言ったのが怪しくなるほどの子供達。もちろんほとんど名前は知らない。明らかに高校生のいとこAは煙草を吸っていた。煙草を吸うことが生活の一部であることを証明するような、板についた吸い方で違和感がなかった。

 

 

僕は急ごしらえの100均で買った黒いペラッペラのネクタイを締めて参列した。ずっと座っていれば終わると思っていたが、どうやらお焼香を上げなければならないようだ。僕は焦った。小学生以来のお葬式で、お焼香の上げ方など全く覚えていない。1人ずつ前に出てお焼香を上げているのだけれど、当然こっちを向いてしてくれるわけもなく、何やらお焼香を摘んで手を上下させていることはわかるが、その手順も詳細も全くわからなかった。僕の番が来た。前の人らと同じくらいの秒数をかけて、お焼香を摘み、顔くらいの高さまで上げ、そっと元に戻した。おそらく間違っているが、しかし、僕の背しか見えていない親戚一同にはバレるまい、と思い直し、やりきった顔で席に戻った。お葬式が終わって、母が「あんた何でお焼香の上げ方も知らんの」と詰めてきた。バレていた。

 

 

 

 

 

 

 

それから数週間後たった日。晩酌をして高揚していた母が嬉しそうに一枚の写真を見せてきた。15人程の大人がスーツを着て記念撮影をしているセピア色の古い写真だった。母が前列の真ん中に座っている中年の男性を指差して「これがアンタのおじいちゃんやで」と言った。写真に写るシュッとしたその中年男性は、明らかにこの前死んだおじいちゃんとは違う人物だった。

 

 

 

僕は心の中で「ちゃうんかい」とツッコんだ。麒麟の川島が優しい笑いを生みだすエピソードトークのオチに、にこやかな笑顔でツッコミを添える時と同じ、あのテンションでツッコんだ。

 

 

 

僕と同じ眉毛だと思っていたおじいちゃんとは血縁がなかった。悲しみはしなかったものの、「遺伝」とか「血の繋がり」とか、それらしく感じとったつもりでいた自分が恥ずかしかった。

 

 

 

 

そういえば昔、母に「お母さんはおじいちゃんおばあちゃんとうまくいってへんねん、あんたが大人になったらまた話すわ」的なコトを言われた記憶がある。それ以来具体的な話はされていない。23歳、身体だけは大きくなったけれど、何てったってお焼香の上げ方すらわからない。僕は、まだまだ子供だ。

 

ハンドスピナー名人伝

 

 

  ある男が、ハンドスピナーを手に入れた。彼は世界でいちばんのハンドスピナーの使い手になろうと決心した。その為に現在世界でいちばんハンドスピナーが上手な師匠を探すと、ジョージという男に辿り着いた。ジョージはハンドスピナーを回すことにおいては天下一品で、片手で軽く弾いただけでも丸一日回転させ続けることができる達人だそうである。男ははるばるジョージをたずねて弟子になった。

 

  ジョージは新入りの男に、まず指の力を鍛えよと命じた。男は言われた直後から親指、人差し指、中指の三本で倒立し、そのまま家まで帰った。家に帰ってからも男は倒立で生活をした。男は寝る時以外は全て倒立で過ごした。外に出るとすれ違う人はみな白い目で見つめるか、男を見ないようにするかの2つに分かれた。男が「倒立でも怪しまれないように」とお尻に顔を描いたパネルを着けたのが逆により怪しまれる結果になってしまった。そして2年が過ぎた。ある日男がスマホでアプリを開こうと画面をタップすると、親指がスマホを貫通した。男は自信を得て、ジョージの元へ行き、成果を告げた。

 

 

  それを聞いてジョージは言う。指の力だけではまだハンドスピナーを回すには及ばぬ。次は、見続ける力をつけよ。ハンドスピナーが回っているときによそ見などはもってのほかだ。

 

  男は再び家に戻った。それから男の「ただ一点のみを見つめる日々」が始まった。男は右利きだったため、左手の人差し指を立て、その爪の先を見つめながら万事をこなした。始めて3ヶ月経つと、彼は人差し指の爪を見つめながらサンマの塩焼きの身と骨を綺麗に分けて食べられるようになった。さらに6ヶ月の後、男は爪の先を見つめたままシャンプーをした。何度も泡が目に入ったが、一度も目を瞑らずに洗いきった。トリートメントもして髪の毛がトゥルトゥルになった。1年半が過ぎた。もはや男はパッチリと目を開け、爪の先見つめながら寝ることさえできるようになっていた。そして早くも3年の歳月が過ぎた。暑い夏の日、彼は海に出かけた。青い海と白い浜、そして水着ギャル達の黄色い声。しかし男の目に入るのは自分の爪先の肌色ただ一色だけだった。

 

  男はさっそく師匠の元にいき、これを報告した。ジョージは嬉しそうに微笑み「でかしたぞ」と初めて男を褒めた。そしてハンドスピナーの奥義、秘伝をあますことなく男に授けた。

 

  基礎の訓練に5年もかけたおかげで、男の腕前の成長は驚くほど早い。奥義秘伝を授かり10日もすれば、男はジョージと同じく、片手で軽く弾いただけで一日中回せるようになった。20日ののちには、机に置いたハンドスピナーを両手で回すと、ハンドスピナーは自分の回転の力で浮いてどこかへ飛んで行ってしまった。

 

  

    もはや師匠から学ぶものはなにもなくなった男は、ある日、ふと良からぬことを考えた。今ハンドスピナーで自分に敵う者は師匠しかいない。自分が天下一の名人になるには、どうしても師匠を倒さなければならない。男は師匠に挑戦状を叩きつけた。ジョージもそれに応え、二人は対峙し、同時にハンドスピナーを回した。互いのハンドスピナーは、指の間で回り続ける。1日が過ぎ、2日が過ぎ、5日目の朝、二人の身体、精神はついに限界を迎え、同時に膝をついた。野望が叶わなかった男の心に、傲慢になった自分への反省が沸き起こった。ジョージの方は、危機を乗り越えた安堵と、衰えていない自分の技術への満足が敵に対する憎しみを忘れさせた。二人は抱き合い、美しい師弟愛の涙にくれた。

 

  涙にくれながらも、また弟子にこんなことをされては困ると思った師匠は、男に新たな目標を与えた。ジョージは男に、これ以上の道を極めたければ、遠く西の山の頂にジェームスといって、昔も今も例を見ないほど凄い方がいらっしゃる。ジェームスの技に比べれば、私達の技など子供の遊びのようだ。お前の師匠はもう彼しかいない。

 

  男はすぐに旅立った。自分の技は子供の遊びだと言われたことが男の自尊心に傷をつけた。自分の目でジェームスの技を確かめ、腕を比べたいと焦り、道を急ぐ。いくつもの山を越え、1ヶ月ののちに、ようやくたどり着いた。

 

 

  殺気立った男を迎えたのは、柔らかい顔つきの酷くよぼよぼの爺さんである。腰が曲がり、白く伸びた髭は地面に引きづられている。

 

  男は、大声で自分が来た理由を告げた。自分の技を見てほしいと言ったが、あせった男は相手の返事を待たずに、いきなりハンドスピナーを両手で回し宙に浮かせた。

 

  ひと通りできるようじゃな。老人は薄く笑いを浮かべ言う。しかし、それはしょせん「回の回」というもの。お主はまだ「不回の回」を知らないようだ。

 

 

  ムッとした男を横目にジェームスは両手の人差し指と親指を何かをつまむような形にして構えた。男はハンドスピナーは?と聞いた。ハンドスピナー?と老人は笑う。ハンドスピナーが必要なうちはまだ「回の回」だ。「不回の回」にはハンドスピナーは要らぬ。

 

 

  老人はほいっと掛け声をかけると、見えざるハンドスピナーの回転の力で、老人がふわふわと浮き始まるではないか。男は戦慄した。その時、初めて芸道の真髄を見た心地がした。

 

 

 

  9年の間、男はこの老人の元にいた。その間、どんな修行をしたかは誰にもわからない。9年が経ち、山を降りて来たとき、人々は男の顔つきが変わったことに驚いた。前までの負けず嫌いでたくましい顔つきではなく、なんの表情もない、精魂の抜けたような顔になっている。久しぶりにジョージを訪ねたとき、しかし、ジョージはこの顔つきをみて叫んだ。これでこそ初めて天下の名人だ!我など足元にも及ばぬと。

 

  

 

  町の人々は男がどんなすごい技を披露するのか期待に沸き立った。

 

 

 

  ところが男はいっこうにその要望に応えてようとしない。しかもハンドスピナーさえ手に取ろうとしない。山に入るとき持っていった日本製の高級ハンドスピナーもどこかへ捨てたようである。町の一人にその理由をたずねられ、男は物憂げに言った。回すという行為を追求していくと、回す行為を超える段階に達する。言葉を追求すれば言葉を超える段階に達し、ハンドスピナーを極めればハンドスピナーを回さないという段階にまで至るのだ。とても物分かりのいい町の人々はすぐに理解して、ハンドスピナーを回さざるハンドスピナーの名人は彼らの誇りとなった。

 

 

  これ以上ない名声の中で男はしだいに老いていく。すでに回を離れた男の顔からはますます表情がなくなり、話すことも稀になり、ついには呼吸の有無さえ疑われるようになった。

 

 

  ジェームスの元から去って40年ののち、男は静かに、誠に煙のごとく静かに世を去った。その40年間、彼は決してハンドスピナーを回すことも口にすることもなかった。

 

 

  男について、次のような妙な話がひとつ伝わっている。

 

 

  その話は、彼が死ぬ1、2年前のことらしい。ある日老人となった男が、知人の家に招かれて行ったとき、その家で1つの器具を見た。たしかに見覚えのある道具だが、どうしてもその名前が思い出せないし、その用途もわからない。男は知人にたずねた。それは何というもので、なにに使うのか、と。知人は男が冗談を言っていると思ってニヤリと笑った。男は真剣になってもう一度たずねる。それでも知人は困ったように笑い、男の考えをはかりかねた様子である。三度男が真面目な顔で同じ質問をした時、はじめて知人は驚愕した。男が冗談を言っているのではなく、気が狂っているのでもない、また自分の聞き間違えでもないと分かると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽をみせ、どもりながら叫んだ。

「あぁ、あなたが!、、古今無双の回の名人であるあなたが!ハンドスピナーを忘れ果てられたのか!あぁ、ハンドスピナーという名も!その使い方も!!」

 

  その後当分の間、町では、画家は筆を置き、ミュージシャンはギターの弦を切り、インスタグラマーはインスタグラムに投稿することを恥じたということである。

 

 

 

※この物語は中島敦名人伝」のオマージュである。(ごめんなさいモロパクリっす)