大を小で流す。

往往にして、大は小で流します。

ハンドスピナー名人伝

 

 

  ある男が、ハンドスピナーを手に入れた。彼は世界でいちばんのハンドスピナーの使い手になろうと決心した。その為に現在世界でいちばんハンドスピナーが上手な師匠を探すと、ジョージという男に辿り着いた。ジョージはハンドスピナーを回すことにおいては天下一品で、片手で軽く弾いただけでも丸一日回転させ続けることができる達人だそうである。男ははるばるジョージをたずねて弟子になった。

 

  ジョージは新入りの男に、まず指の力を鍛えよと命じた。男は言われた直後から親指、人差し指、中指の三本で倒立し、そのまま家まで帰った。家に帰ってからも男は倒立で生活をした。男は寝る時以外は全て倒立で過ごした。外に出るとすれ違う人はみな白い目で見つめるか、男を見ないようにするかの2つに分かれた。男が「倒立でも怪しまれないように」とお尻に顔を描いたパネルを着けたのが逆により怪しまれる結果になってしまった。そして2年が過ぎた。ある日男がスマホでアプリを開こうと画面をタップすると、親指がスマホを貫通した。男は自信を得て、ジョージの元へ行き、成果を告げた。

 

 

  それを聞いてジョージは言う。指の力だけではまだハンドスピナーを回すには及ばぬ。次は、見続ける力をつけよ。ハンドスピナーが回っているときによそ見などはもってのほかだ。

 

  男は再び家に戻った。それから男の「ただ一点のみを見つめる日々」が始まった。男は右利きだったため、左手の人差し指を立て、その爪の先を見つめながら万事をこなした。始めて3ヶ月経つと、彼は人差し指の爪を見つめながらサンマの塩焼きの身と骨を綺麗に分けて食べられるようになった。さらに6ヶ月の後、男は爪の先を見つめたままシャンプーをした。何度も泡が目に入ったが、一度も目を瞑らずに洗いきった。トリートメントもして髪の毛がトゥルトゥルになった。1年半が過ぎた。もはや男はパッチリと目を開け、爪の先見つめながら寝ることさえできるようになっていた。そして早くも3年の歳月が過ぎた。暑い夏の日、彼は海に出かけた。青い海と白い浜、そして水着ギャル達の黄色い声。しかし男の目に入るのは自分の爪先の肌色ただ一色だけだった。

 

  男はさっそく師匠の元にいき、これを報告した。ジョージは嬉しそうに微笑み「でかしたぞ」と初めて男を褒めた。そしてハンドスピナーの奥義、秘伝をあますことなく男に授けた。

 

  基礎の訓練に5年もかけたおかげで、男の腕前の成長は驚くほど早い。奥義秘伝を授かり10日もすれば、男はジョージと同じく、片手で軽く弾いただけで一日中回せるようになった。20日ののちには、机に置いたハンドスピナーを両手で回すと、ハンドスピナーは自分の回転の力で浮いてどこかへ飛んで行ってしまった。

 

  

    もはや師匠から学ぶものはなにもなくなった男は、ある日、ふと良からぬことを考えた。今ハンドスピナーで自分に敵う者は師匠しかいない。自分が天下一の名人になるには、どうしても師匠を倒さなければならない。男は師匠に挑戦状を叩きつけた。ジョージもそれに応え、二人は対峙し、同時にハンドスピナーを回した。互いのハンドスピナーは、指の間で回り続ける。1日が過ぎ、2日が過ぎ、5日目の朝、二人の身体、精神はついに限界を迎え、同時に膝をついた。野望が叶わなかった男の心に、傲慢になった自分への反省が沸き起こった。ジョージの方は、危機を乗り越えた安堵と、衰えていない自分の技術への満足が敵に対する憎しみを忘れさせた。二人は抱き合い、美しい師弟愛の涙にくれた。

 

  涙にくれながらも、また弟子にこんなことをされては困ると思った師匠は、男に新たな目標を与えた。ジョージは男に、これ以上の道を極めたければ、遠く西の山の頂にジェームスといって、昔も今も例を見ないほど凄い方がいらっしゃる。ジェームスの技に比べれば、私達の技など子供の遊びのようだ。お前の師匠はもう彼しかいない。

 

  男はすぐに旅立った。自分の技は子供の遊びだと言われたことが男の自尊心に傷をつけた。自分の目でジェームスの技を確かめ、腕を比べたいと焦り、道を急ぐ。いくつもの山を越え、1ヶ月ののちに、ようやくたどり着いた。

 

 

  殺気立った男を迎えたのは、柔らかい顔つきの酷くよぼよぼの爺さんである。腰が曲がり、白く伸びた髭は地面に引きづられている。

 

  男は、大声で自分が来た理由を告げた。自分の技を見てほしいと言ったが、あせった男は相手の返事を待たずに、いきなりハンドスピナーを両手で回し宙に浮かせた。

 

  ひと通りできるようじゃな。老人は薄く笑いを浮かべ言う。しかし、それはしょせん「回の回」というもの。お主はまだ「不回の回」を知らないようだ。

 

 

  ムッとした男を横目にジェームスは両手の人差し指と親指を何かをつまむような形にして構えた。男はハンドスピナーは?と聞いた。ハンドスピナー?と老人は笑う。ハンドスピナーが必要なうちはまだ「回の回」だ。「不回の回」にはハンドスピナーは要らぬ。

 

 

  老人はほいっと掛け声をかけると、見えざるハンドスピナーの回転の力で、老人がふわふわと浮き始まるではないか。男は戦慄した。その時、初めて芸道の真髄を見た心地がした。

 

 

 

  9年の間、男はこの老人の元にいた。その間、どんな修行をしたかは誰にもわからない。9年が経ち、山を降りて来たとき、人々は男の顔つきが変わったことに驚いた。前までの負けず嫌いでたくましい顔つきではなく、なんの表情もない、精魂の抜けたような顔になっている。久しぶりにジョージを訪ねたとき、しかし、ジョージはこの顔つきをみて叫んだ。これでこそ初めて天下の名人だ!我など足元にも及ばぬと。

 

  

 

  町の人々は男がどんなすごい技を披露するのか期待に沸き立った。

 

 

 

  ところが男はいっこうにその要望に応えてようとしない。しかもハンドスピナーさえ手に取ろうとしない。山に入るとき持っていった日本製の高級ハンドスピナーもどこかへ捨てたようである。町の一人にその理由をたずねられ、男は物憂げに言った。回すという行為を追求していくと、回す行為を超える段階に達する。言葉を追求すれば言葉を超える段階に達し、ハンドスピナーを極めればハンドスピナーを回さないという段階にまで至るのだ。とても物分かりのいい町の人々はすぐに理解して、ハンドスピナーを回さざるハンドスピナーの名人は彼らの誇りとなった。

 

 

  これ以上ない名声の中で男はしだいに老いていく。すでに回を離れた男の顔からはますます表情がなくなり、話すことも稀になり、ついには呼吸の有無さえ疑われるようになった。

 

 

  ジェームスの元から去って40年ののち、男は静かに、誠に煙のごとく静かに世を去った。その40年間、彼は決してハンドスピナーを回すことも口にすることもなかった。

 

 

  男について、次のような妙な話がひとつ伝わっている。

 

 

  その話は、彼が死ぬ1、2年前のことらしい。ある日老人となった男が、知人の家に招かれて行ったとき、その家で1つの器具を見た。たしかに見覚えのある道具だが、どうしてもその名前が思い出せないし、その用途もわからない。男は知人にたずねた。それは何というもので、なにに使うのか、と。知人は男が冗談を言っていると思ってニヤリと笑った。男は真剣になってもう一度たずねる。それでも知人は困ったように笑い、男の考えをはかりかねた様子である。三度男が真面目な顔で同じ質問をした時、はじめて知人は驚愕した。男が冗談を言っているのではなく、気が狂っているのでもない、また自分の聞き間違えでもないと分かると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽をみせ、どもりながら叫んだ。

「あぁ、あなたが!、、古今無双の回の名人であるあなたが!ハンドスピナーを忘れ果てられたのか!あぁ、ハンドスピナーという名も!その使い方も!!」

 

  その後当分の間、町では、画家は筆を置き、ミュージシャンはギターの弦を切り、インスタグラマーはインスタグラムに投稿することを恥じたということである。

 

 

 

※この物語は中島敦名人伝」のオマージュである。(ごめんなさいモロパクリっす)