大を小で流す。

往往にして、大は小で流します。

おじいちゃんが死んだ

 

 

少し前、と言っても1年前か2年前、正確にどのくらい前かは忘れてしまったけれど、僕の母方のおじいちゃんが死んだ。父方のおじいちゃんは僕が小学生の頃に亡くなったので、僕がおじいちゃんと呼べる人はもうこの世にいなくなった。

 

 

とは言っても、母方の祖父母とはずっと疎遠で、今どこに住んでるのかも分からないし、会話をした記憶も小学生の頃まで遡るし、お年玉を貰った記憶もない。彼らに関連する記憶といえば、彼らの家のケーブルテレビで延々とパワーパフガールズを見ていたことだけだ。だから悲しいというよりも、ニュースで知らない芸能人の訃報を知った時のような感情になった。

 

 

おじいちゃんが死んだ日、母が「おじいちゃんが死にそうやから病院行くで」と言って病院に連れていかれるまでおじいちゃんがそんな状況だった事すら知らなかった。

 

 

久しぶりに家族が1つの車に乗って、病院に向かった。普段からコミュニケーションが少ない方だが、この時の車内は一段と静かだった。そして普段から荒い母の運転は、より一層荒かった。疎遠だと言っても、おじいちゃんは母にとってたった1人の父なのだ。死に目に立ち会えないのは悔いの残ることなのかもしれない。そんな母の早る気持ちをもて遊ぶように、信号はことごとく赤になった。あの時母はどんな気持ちで赤信号を待っていたのか、僕には分からない。

 

 

病院に到着すると、母の歳の離れた妹夫婦が先に着いていた。家系上はおばさんに当たるが僕との歳の差を考えるとお姉さんと言った方が適切だ。そんな彼女は、しばらく見ないうちに鼻をガッツリ整形していた。立派な鼻筋をしていた。真面目に部活に打ち込む体育会系女子高生の精神くらい一本スジが通っていた。

 

 

 

おじいちゃんは既に死んでいた。間に合わなかった。母はおじいちゃんを一見して「死んでもうたら一緒やな」と言った。その時の母の顔は悲しみではなく、何か面倒な事に巻き込まれた時のような顔だった。どういう意味かは分からなったけれど、良い意味ではないような気がした。母はもう、お葬式やその他諸々の今後の事務的な話をしていた。

 

 

 

僕はおじいちゃんを見た。人の死体を見るのは久しぶりだった。やはり特別な感情はわかなかったけれど、眠っているのではなくて確かに死んでいる感じがした。唯一印象に残っているのはおじいちゃんの眉毛だ。あらゆる体毛の栄養を全部吸いきって成長したような、太くて濃い眉毛をしていた。僕も眉毛は太くて濃い方だ。このおじいちゃんの「太くて濃い眉毛」という情報が血の川を下って僕の眉にたどり着いたのかと思うと、太古の昔から脈々と命が繋がって今の自分がいるのだな、というありきたりで大袈裟な感想は今考えたが、その時は僕の眉毛はこのおじいちゃんの眉毛なんだな、くらいには思ったし、血の繋がりの神秘を感じた。

 

 

 

 

数日後、地元の斎場でお葬式が慎ましやかに行われた。母は4人兄妹の長女で、おじさん・おばさんの家族は今時珍しい大家族だから、いとこの数が半端ではない。慎ましやかと言ったのが怪しくなるほどの子供達。もちろんほとんど名前は知らない。明らかに高校生のいとこAは煙草を吸っていた。煙草を吸うことが生活の一部であることを証明するような、板についた吸い方で違和感がなかった。

 

 

僕は急ごしらえの100均で買った黒いペラッペラのネクタイを締めて参列した。ずっと座っていれば終わると思っていたが、どうやらお焼香を上げなければならないようだ。僕は焦った。小学生以来のお葬式で、お焼香の上げ方など全く覚えていない。1人ずつ前に出てお焼香を上げているのだけれど、当然こっちを向いてしてくれるわけもなく、何やらお焼香を摘んで手を上下させていることはわかるが、その手順も詳細も全くわからなかった。僕の番が来た。前の人らと同じくらいの秒数をかけて、お焼香を摘み、顔くらいの高さまで上げ、そっと元に戻した。おそらく間違っているが、しかし、僕の背しか見えていない親戚一同にはバレるまい、と思い直し、やりきった顔で席に戻った。お葬式が終わって、母が「あんた何でお焼香の上げ方も知らんの」と詰めてきた。バレていた。

 

 

 

 

 

 

 

それから数週間後たった日。晩酌をして高揚していた母が嬉しそうに一枚の写真を見せてきた。15人程の大人がスーツを着て記念撮影をしているセピア色の古い写真だった。母が前列の真ん中に座っている中年の男性を指差して「これがアンタのおじいちゃんやで」と言った。写真に写るシュッとしたその中年男性は、明らかにこの前死んだおじいちゃんとは違う人物だった。

 

 

 

僕は心の中で「ちゃうんかい」とツッコんだ。麒麟の川島が優しい笑いを生みだすエピソードトークのオチに、にこやかな笑顔でツッコミを添える時と同じ、あのテンションでツッコんだ。

 

 

 

僕と同じ眉毛だと思っていたおじいちゃんとは血縁がなかった。悲しみはしなかったものの、「遺伝」とか「血の繋がり」とか、それらしく感じとったつもりでいた自分が恥ずかしかった。

 

 

 

 

そういえば昔、母に「お母さんはおじいちゃんおばあちゃんとうまくいってへんねん、あんたが大人になったらまた話すわ」的なコトを言われた記憶がある。それ以来具体的な話はされていない。23歳、身体だけは大きくなったけれど、何てったってお焼香の上げ方すらわからない。僕は、まだまだ子供だ。