大を小で流す。

往往にして、大は小で流します。

タバコにまつわるエトセトラ①

 

 

 

駅前の立食い蕎麦屋の海老天のように申し訳程度の事実を過分な衣で覆った、タバコに関する物語をひとつ。

 

 

 

大学生の頃、サークルの先輩にとにかく胡散臭いヤツがいた。SNSのプロフィール欄でイキるようなヤツだった。friend/positive/sports/photo/drive…詳しくは覚えていないが好きな単語を英語にしてスラッシュで分けて羅列するスタイルのプロフィール欄で、たしか一番最後は・・・/上昇志向、で終わっていた。英語で統一しろよと思ったけれど、細かいことなどどうでもいいのだろうと普段の振舞いからも察する事ができた。

 

ワックスのつけ方だけ妙にうまくて、いつも毛先をツンツンさせながら、写真に写るときは顎を少し上げ顔を少し斜めにし目を細めて口を尖らせるようなヤツだった。「オレバリポジティブやで」といつも明るかったが実際は何も考えていないだけで、2回留年した後に「大阪狭いわ」と言い残して中退し、東京へ去った。そんな胡散臭い先輩Sだが、彼は何故か僕を気に入っていた。

 

僕が就活で東京に行く機会があった時、Sがどこから嗅ぎ付けたのか「東京来るなら会お!泊めるよ!」と連絡をしてきた。迷ったけれどホテル代が浮く事は大きかったから、仕方なく会う事にした。大学の時から僕が唯一損得だけで会う会わないを決めているのに、知ってか知らずかSは何かにつけて僕を誘ってくるのだった。珍しく大阪に雪が降った日、そこまで積もってもいないのに「雪合戦しよや!」と誘ってきたり。

 

1日目の夕方、渋谷のカフェのテラス席で再会したSは曇天の中サングラスを掛けてタバコを吸っていた。「東京の空気とタバコって合うじゃん?ヤニカスだよマジで。うめー。やめらんねー」と言いながらアメスピのメンソールの1ミリを吹かしていた。どうやらSはタバコ吸っているのがカッコイイと思っていて、そんなタバコを吸っているカッコイイ自分をアピールしたいようだった。東京の空気とタバコが合うというのもよく分からなかったが、例えばSが好きなロックバンドのボーカルがライブのMCで言ったとか、何となくそれっぽくてツウぶれるとSが判断してどこかから仕入れた受け売りの言葉なんだろうなぁと思った。それと完全に標準語になっているのも鼻に付いたが、その感覚に懐かしさすら感じた。ミーハーで使う言葉も無意識にコロコロ変えていくのがSの変わらない部分である。

 

Sは「お前も一本吸う?」とタバコを差し出してきた。僕は大学の友達やバイト先の先輩からよく貰いタバコをしていたので、その提案をありがたく受け取った。1ミリのメンソールを吸うのは初めてだったが、僕の口には合わなかった。大量の水で薄めて薄めて作った粉のポカリスエットを飲んだ時のような決まりの悪さで、吐き出される女々しくて貧相な煙と、吸っても吸ってもなくならないアメスピに苛々した。Sはミルクと砂糖をたんまり入れたコーヒー風味の飲み物を飲み干すと、前触れもなく「クラブ行かね?」と誘ってきた。お前に東京の遊び方を教えてやるよ、Sの表情がそう語っていた。

 

僕は行きたくなかったが「奢ってやるから」と言うので、例によって損得を勘定した結果、人生で初めてクラブに行くことになった。Sは謎に気前の良い部分があり、それがかえって胡散臭さの一因になっている。

 

連れて行かれたクラブは恐らく渋谷で一番安くて狭くて汚なかった。そして何かから隠すように暗い店内。流行りのEDMの爆音、その重低音が一定のリズムで身体の奥に響き、心臓の代わりに脈を打つようだった。埃っぽい空気の中を音楽に合わせて青や黄色の閃光がほとばしる。汗とアルコールとタバコの匂いが嗅覚を支配する狭いハコの中で、身をよじって踊り狂うのは人間ではなく動物のオスとメスだった。溢れたお酒でベトベトになった床に一歩踏み入れた瞬間から僕は後悔をしていた。冷徹で過剰な自意識が僕に「ノる」という恥ずべき行為を許さなかった。

 

Sは縦に揺れ顎でリズムを取りつつスミノフを半分飲んだところで顔を真っ赤にして下品に笑っている。その笑顔を見て、僕は置いて行かれたと思った。通勤列車のような人口密度の中で僕は1人ぼっちになった。酔ったSは適当な女を見つけたのか、吸いかけのタバコを無言で僕に渡し人を掻き分けて消えた。タバコを渡された意味が分からなかった。でも音楽にノれない僕は、かと言って「クラブに来てノれないヤツ」と思われるのも耐えられなかった。その逃げ道にタバコは丁度良かった。「お酒を飲んでタバコを吸ってるヤツ」はクラブにいてもおかしくない。僕はそのタバコを吸うしかなかった。

 

 

しかし、僕はタバコを吸おうと口をつけた瞬間、思わずそれを灰皿に投げ捨てた。フィルターがベチョベチョだったのだ。ぬるぬるの両生類を生きたまま咥えるくらい気持ちが悪かった。僕は人混みを押し退けトイレに駆け込み、お酒で口をゆすいだ。そしてそのまま店を後にし、坂の上にあるカプヘルホテルに泊まった。Sとはそれ以来会っていない。

 

 

半年後、僕は数年ぶりに虫歯になった。僕はあの時のSのベチョベチョのタバコのせいだと思っている。